ゴールデンルール

アキトさんのTRPG論考を読みながら少し考えてみました。
FEARのゴールデンルールについては、未見なので言及しません。(今度読んでみます)
私の持っているアリアンロッドには書いていませんでした。確か、NOVAか他のシステムに書いてあると思う。


GMの決定は絶対」という言葉に対する違和感の根底には、
「(A)GMがルール解釈の裁定をする事が出来る能力を持っていない場合」と
「(B)セッションを遊んでいるメンバにマトモでは無い人*1がいる場合」が同時に起こった場合への
対処の意識の違いがあるのではないだろうか。


(A)が問題無い場合には、セッションに参加するメンバが納得できるルーリングが可能。
また、マトモでは無い人への対処も可能だろう。
(B)が問題ない場合は、その場のメンバで「まぁ、これでいいんじゃない?」的にルールは裁定されて進行する。
(正しいルールをGMが捻じ曲げて解釈して無理を押し通そうとする場合は別検討事項だろう)


想像だが、「GMの決定は絶対」という言葉は、どこかで書いている人間も、未来永劫という意図ではなく、
そのセッションの中で他に代案が無ければ、という意味だと思う。
(なぜなら後から公式ルールとして定義されても主張し続けはしないでしょう。普通)


from http://d.hatena.ne.jp/akito_lightly/20041229

(1)で書いた違和感は、その発言を聞くたびに、GMの権力が「神が与えたもうた絶対のもの」と主張しているかのように感じてしまうからかもしれない。いわば「GM権神授説」。

それに対して、ボクは「GM権社会契約説」を支持するわけです。GMの権限は卓の参加者がスムーズに進行するゲームを楽しむために仮託したものである、と。

それでも、敢えて「GMの決定は絶対」という決定は絶対というアキトさんの言葉を借りれば、
GM権神授説」的な言葉を使っているのは、前述での(A)と(B)の状況が同時に起こった時に、
「マトモで無い人は、GMとPLが対等であるならば『より声の大きい俺が通る』」という行動を時として
起こす事があるからでしょう。


(A)と(B)が同時に起こっている状況下であれば、ルールで「GMは神」と明言して、能力が追いつかない
GMをサポートするしか手は無さそうです。別の手段は、他の卓から偉い人or強い人を呼ぶ。(^^;
しかし、後々の遺恨を考えれば、ルールではじめから書いておく方が良さそうです。


ただ、ルールとして記述するとしては、仕方無いとしても、
アキトさんの「GM権社会契約説」で問題無く遊べるセッションで私は遊びたいですね。
GMは神」と言わなければ遊べないセッションは、私の中では、「セッションプレイ*2」が低過ぎ。

*1:長い説明を書くのが面倒だったので・・・ルールを盾にとって強引に自分の好きな様にしたり、他者に不快な気分を味あわせる様な人の事

*2:私の昔書いた論考での言葉でね